帝釈人車鉄道 明治時代に人が押して走行した鉄道とは?

帝釈人車鉄道

帝釈人車鉄道と言う「人」が客車を「押して」レールの上を走行した鉄道がありました。
1897年(明治30年)に金町駅が開業すると、江戸時代後期から人気だった「柴又帝釈天」への参詣者が増えたと言います。
しかし、金町駅から帝釈天には、徒歩20分ほどの距離でした。

簡単に申し上げれば、人力車のレール版(鉄道版)と申しましょうか?
客車はトップ写真にあるように、6名定員と、とても小さく、動かすのは動力や馬(馬車鉄道)ではなく、人間が客車を押しました。
押す係員さんのことを「車丁」と呼んだそうです。



金町駅から人車柴又駅の約1.2kmは、ほぼ平坦なため、車両1両を、人員1名で押していたようですが、強風時などには2人だったこともあるようです。
帝釈人車の軌道は全線専用軌道になっいて、金町はループ状でした。
そして、人車軌道としては珍しく「複線化」されていたと言います。

帝釈人車鉄道

運賃は、当時のお金で片道5銭です。
コーヒー1杯が3銭だったと言いますので、今の貨幣価値で片道600円程度と考えてよいでしょうか?
往復割引もあって9銭だったそうです。
と言う事で、その当時も、少し高い運賃だったようですが、風情あるこの乗り物は、原敬、夏目漱石、尾崎紅葉なども楽しんだと言います。

その帝釈人車鉄道のジオラマが、帝釈天近くの「寅さん記念館」にて、再現されていました。

最盛期には64両もあった帝釈人車鉄道ですが、その後、京成電鉄が、京成高砂(曲金)~京成柴又を明治45年に開通させます。
そして、帝釈人車鉄道の軌道は、京成に譲渡されることになり、大正2年(1913年)に、柴又~金町も京成・金町線となりました。

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