日本最初の鉄道は海の上を通っていた? 新橋駅のSL広場も

新橋駅のSL広場

日本最初の鉄道

トップ写真は、東京の新橋駅の駅前・日比谷口にあるSL広場です。
新橋駅(しんばし-えき)は、鉄道に詳しい方であれば、誰もがご存知であろう駅名ですね。
明治5年(1872年)に、日本で初めて「鉄道」が開業したのが、 新橋駅から横浜駅(現在の桜木町駅)の間となります。

開業当時の新橋駅

そのころの政府は税収が少なく、資金不足でしたが大久保利通らの反対を押し切って、大隈重信井上勝が主導し官営鉄道の建設に当たりました。

最初、線路の枕木には鉄製のものを輸入しようと考えていたらしいです。
しかし、イギリス人技師のエドモンド・モレルが助言して、安価で日本でも手に入りやすい木材が採用されたとの事です。
線路の幅は、1067mm(狭軌)で、現在のJR在来線と同じ幅に決定しました。


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新橋~横浜 開業

開業当初は1日6往復の運転で、途中駅はありませんでした。
ただし、途中駅の工事はしていたようで、1ヶ月後には、川崎駅と神奈川駅(廃駅)の2駅ができています。
全線の3分の1は、海上に築堤を築いて線路を敷設したと言います。
特に高輪の辺りや、今の横浜のあたりは、本当に海の上に鉄道を敷く計画になっています。
要するに、トラックや重機などまだ無い時代に「埋め立て」して、そのうえに線路を敷設したと言う事ですが、この頃から、既に日本は、鉄道を敷く「土地」が無かったのかと驚かされます。

品川駅の改良工事や高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事では、地中より「高輪築堤」と呼ばれる線路跡の土台も発見されました。

下記は桜木町駅の北の部分、現在の横浜駅付近は、海の中に線路を敷いたのがわかります。

横浜付近

下記は実際の写真ですが、手間は神奈川停車場のようです。

日本最初の鉄道は海の上を通っていた

国立公文書図書館に全線の計画路線の資料があるのですが、勝手に資料を掲載する訳にはいきませんので、リンクだけ貼っておきます。
下記をご参照賜りますと幸いです。

(参考)新橋横浜間鉄道之図(国立公文書図書館)

下記は桜木町駅(最初の横浜駅)の当時の様子です。

桜木町駅(最初の横浜駅)

なお、新橋~横浜間29キロの所要時間は、ノンストップで約53分でした。
時速に換算しますと最高速度約35km/hといったところでしょうか?
旅客列車は、1日9往復の運行だったようです。

160型蒸気機関車

もちろん、テレビや映画もまだない時代です。
窓の外を流れる景色を見た乗客は、誰かが、外で、絵を動かしていると、感じたそうです。

日本最初の鉄道

輸入した蒸気機関車は10両、客車は58両とかなりの車両の数です。

日本最初の鉄道

下記は、イギリスから輸入された蒸気機関車5形式10両中の1形式「1号機関車」(150形SL)で、国の重要文化財になっています。
大宮の鉄道博物館に展示されています。

日本初のSL・150形式蒸気機関車(鉄道博物館)

鉄道はもうかった

開業当時の新橋-横浜間の運賃は、上等が1円12銭5厘、中等が75銭、下等が37銭5厘です。
コメ10kg買えるのが、下等運賃だったと言いますので、現在の価値に換算しますと、一概に言えませんが、下等で片道3000円と言ったところでしょうか?

一等車キップ

そのため、高額で乗客は少なかったようです。
それでも、開業翌年の明治6年には、1日平均4347人、年間の旅客収入が42万円と貨物収入2万円。
年間運行経費の23万円を引くと、利益が年間21万円となりました。


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1日4000名の乗客と言うのは今でも上々の数値です。
現在の地方ローカル線は、1日1500人で営業収支がトントンになると言う数字ですのでね。

明治期の3等客車(鉄道博物館)

上記でご紹介した車両などは、大宮の鉄道博物館で撮影したものです。
下記は、青梅鉄道公園に展示されている3号機関車(160型蒸気機関車)です。

110形蒸気機関車(10号機関車)

このように、鉄道は「大評判」となり、たった2年目で、これだけの利益を生み出した鉄道と言うものは、作れば「儲かるぞ」と言う事で、日本各地に鉄道が敷かれる契機にもなった訳です。
2年後の明治7年(1874年)には、大阪駅~神戸駅間が開通しました。
ずっと国有で造られてきた鉄道でしたが、西郷隆盛の西南戦争で明治政府は財政難となり、以後、民間資本での「私鉄」での建設も許可されるようになります。
そして、難波駅~大和川駅(廃止)となる現在の南海本線が明治18年に開通しました。


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まだ、自動車などもなく、道路の整備が不十分だった時代、鉄道はまさに移動手段として、望まれる存在でした。
しかし、自動車が普及すると、道路も舗装され、今では高速道路網も、しっかり出来上がってしまっています。
こうなると、鉄道での移動は、逆に時間がかかるなど、不便なところもあり、クルマのスピード以上で、移動させる「高速鉄道」として、生き残りを図ることになりつつあります。

新橋駅の遺構

なお、現在の新橋駅は、鉄道開業当時の新橋駅があった場所ではありません。
正確には、その後「汐留駅」(しおどめ-えき)と呼ばれた、汐留貨物ターミナルがあった場所が新橋駅でした。
現在は再開発されて「汐留シティーセンター」となっている、新橋駅の東側の地域ですね。

旧新橋停車場・鉄道歴史展示室

旧新橋停車場跡として「旧新橋停車場・鉄道歴史展示室」も設けられており、ホームが保存されています。

旧新橋停車場

旧新橋停車場の裏手には、当時のレールが数メートルだけ敷設・保存されています。

旧新橋停車場

さて、SL広場に静態展示されている蒸気機関車は、C11形蒸気機関車(C11-292)です。

新橋駅のSL広場

主に姫路で運転されていたSLだそうですが、毎時の時報代わりに「ボー」と汽笛がなりますので、近くにいるとビックリします。
お待ち合わせの際には、くれぐれもご注意を。

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