DD50形ディーゼル機関車、マイクロエースから出ているDD50-2次型「茶色」敦賀機関区仕様のNゲージです。
よく、DF50形と間違えやすいのですが、これは、DFではなく、DDです。
DD50形は、戦後に登場しましたが、日本初の幹線用ディーゼル機関車でして、僅か6両だけ製造されて、すべてが、敦賀機関区に配備されました。
要するに、敦賀の北陸本線にて専用に使われたディーゼル機関車と言う事になります。
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日本では太平洋戦争前からも、ディーゼル機関車がありましたが、いずれも小型で、入換用の機関車でした。
そのため、このDD50形は、蒸気機関車に代わり、初めて幹線用のディーゼル機関車となった訳です。
しかし、敦賀に6両しか配置されませんでした。
これには理由があります。
昔の北陸本線(旧・北陸本線)は、米原から北上して、木ノ本を過ぎると、戦国時代に賤ケ岳の戦いもあった北国街道沿いを更に登って、柳ヶ瀬トンネルを抜けて、疋田(ひきだ)に至る山岳ルートでした。
その明治15年に完成した、刀根駅~柳ヶ瀬駅間の単線トンネルである柳ヶ瀬トンネルは、トンネルの中は25‰の勾配になっており、度々、蒸気機関車の乗務員(運転士ら)が「窒息死」する事故が起きていました。
重い貨物などをけん引した場合に、トンネル内部の登り坂にて、SLが止まってしまう(車輪が空転して動けなくなる)と言う事ですね。
貨物用D50形蒸気機関車の「2両」(重連)にて、ただでさえ、フルパワーで出力している訳です。
石炭を燃やした煙もスゴイ状態にて、狭いトンネルにて止まってしまうため、運転手らが窒息死すると言う事態になりました。
更には、救助に入った貨物列車の乗務員も、一酸化炭素中毒にて倒れてしまい、3名の死者も出たとの事です。(北陸本線窒息事故)
このような事故を受けて、煙が少ないディーゼル機関車の研究が進めら、昭和28年(1953年)からDD50形が製造されました。
常に2両を背中合わせでの重連運転(機関車2両)を前提とした設計になっています。
性能的には、D52形・C62形蒸気機関車と同等で、最高時速は90km/hでした。
ただし、客車へ送る暖房装置が無かったため、特急・急行などの運行にも使われましたが、暖房車が必要などの問題から、やがて貨物専用の機関車になったようです。
また、DD50は、2両重連のため製造費用が高く、非力さもあり、量産はされませんでした。
その後、幹線用ディーゼル機関車としては、出力を上げた単機で、蒸気暖房装置を搭載したDF50形が開発され、1957年(昭和32年)から国鉄で初めて本格的に量産されたディーゼル機関車となっています。
また、米原~敦賀間では、柳ヶ瀬トンネルなど4箇所のスイッチバックも含めて単線であったことから、運行本数に限りがあり、貨物の増加に対応しきれなくなります。
そのため、狭軌の陸上鉄道トンネルとしては、日本最長である「北陸トンネル」が1962年(昭和37年)に完成し、北陸本線は複線となって電化になり、輸送力が増強されました。(旧線は廃線)
こうして、DD50形の役目も終わり、米原機関区に移っていましたが、1977年(昭和52年)12月26日付で全車廃車となっています。
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なお、残念ながら、現存車両はありませんので、このように鉄道模型でしか、見ることが出来ません。
そのため、Nゲージの鉄道模型しても、DD50形は大変貴重な事から、今回、手に入れました。
・DF200-100形ディーゼル機関車 TOMIX2226 動画も撮影
・国鉄 DD13-300形ディーゼル機関車(一般型)TOMIX2227 入線
・里山交通 BD2012形 機関車 【宇高連絡船の話も】
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